僕の脳内

ふと感じたことや経験したことについて書いて行きたいと思います。思ったことを脈絡もなく淡々と書き連ねるため、多少読みづらいのかもしれません。

日常のシャッターチャンス

皆さん、こんにちは。

 

今回は私のちょっとした癖?のようなものについて話していきたいと思います。

それは「日常生活を見つめてしまう」事です。もっと簡潔に言い表すと、「あれ、今自分は何をしているのだ」と何の前触れもなく唐突に考えるといったようなものです。(これを私の中で癖という枠組みの中に入れています。)当時の記憶といったようなものではなく起こっている、まわりを取り囲んでいる状況に対しての疑問のに近いものだと思います。             

 

多分、一番始めにそれを癖として認識したのは中学1年生の夏頃からだと思います。今でもあの感覚はすごく鮮明に覚えています。

私はとある運動部に所属しており、3年生の先輩方が引退されたという事もあり、いよいよ活動に本腰を入れなければ!と決意して取り組む心づもりでした。しかし抱いていたそれに疑問を持つように。というのも新体制では活動という活動をせず、限られた時間の中で存分に遊びまくっている先輩や同輩、それを黙認し、無法地帯化した領域に足を踏み入れようとしない指導者である先生。

私の記憶が正しければほとんど部員全員が本来の目的から逸脱した行動をしていたように思います。そういった練習が毎日毎日繰り返されていました。

当然、練習をしたくても全くできなかった状況にあった私は一人練習場所の片隅で用具をきれいにして時間を潰していました。(本当に時間の無駄で、何より親に部費を払ってもらっているのに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。)

と或る日の練習(という形)後、いつものように戸締りをしていた時、ふと「何をしているのだ」という感情が癖の始めとしてやってきたのです。おそらく当時の私はあるべきはずの状態と現状を比較して疑心を抱いていたのだと思います。このままでいいのかと。

 

現状に不満足しているか、あるいは現状に満足しているつもりがどこかでおかしいと気づき始めているのか。癖のようなものであってまた、勘のようなものでもあります。(考えれば考えるほど頭が痛くなります。笑)

 

最近になってこの癖が目立つようになりってきました。自分が見る理想と現実のギャップを知ったからだと思います。これは自身の生き方にも通ずるものであってこれからの生き方に歯止めがかかっている何よりの証拠であります。まさに今、分岐点に立とうとしているのかなと感じています。

 

本当にこのままでいいのか。上手くこの癖と付き合って人生のふとした日常にあるシャッターチャンスで活きることを願います。