ただの平日
12月24日
世はクリスマスムードで染まっている。
最近、駅から十数分歩くと見える広い公園にはライトアップされた円錐型のツリーが目立っておかれており、「たくさんの人に見られてあなたも大変ね。」とつい言葉をかけたくなってしまう。同時に冬到来を感じた。
今朝、通学路の途中いつもと違う方向に小学生が歩いていた。何か忘れ物をしたのかと思ったが、どうやら急ぐ素振りを見せない。さらに道を進めても、小学生が同様に歩いている。なるほど今日は12月24日。小学生にとっては冬休みの始まりなのだと知る。
僕は割と真面目な小学生だったので、この日のランドセルの圧倒的軽さには非常に驚いたのを今になっても覚えている。いつもは、六時間分の教科書、ノート、リコーダー、連絡帳など、ありとあらゆるものを収納していたが、この日はその必要がない。せいぜいもらった要らない冬休みの宿題程度だ。
あなた達にはこれからの素敵な冬休みを目一杯楽しんでほしい。そんな21歳の届きもしない想いを彼らにたくした朝だった。
毎晩、日中の鬱憤晴らしに徘徊をするのだが、今日だけは人がいない。
嘘をこけ、軒並み家の中は明るくにぎわっているはずなのに、閉じ込めるかのようにして人は大切な何かとクリスマスのひとときを過ごす。なるほど、徘徊が日課の人も今日ばかりはしないのか。継続性がないものだ。いつもの時間にはついていないはずの家の電気が太陽にあこがれて家という名の惑星に光を、そして、熱を届けている。それらが頻りに「どうだ、うらやましいだろ!」と言わんばかりに徘徊中の私を見下すのだ。一軒一軒に別に羨ましくなんかないもんとにらめっこを返す。
そういえば、ここ最近はクリスマスに何かをするという事がなくなってきた。というよりむしろない。考える方が面倒くさくなり、僕の人生経験で構築されたカレンダーからクリスマスというイベントはあえて抜いた。「何か楽しみごとがあると待ち遠しい」その「楽しみごと」を平凡に変えたのだ。違和感はない、僕にとってこれは一歩成長したのではないかとすら感じる。
それにクリスマスは誰かと一緒になければならない。誰かと一緒にいるもんでしょ?みたいな同調圧力があまり好きじゃない。こぞってクリスマスの予定を埋めようとする人を見るとなんだか哀れに思えてくる。たかがイブも合わせて2日間のためにご苦労様です。という感じに。
しかし、「クリスマス」という言葉を思い浮かべるとどこかソワソワする思いは今になっても全く変わらない。
なのにこうしてブログでクリスマスへの思いを記しているには何かあるのだろう。
そんな僕は最近ハマっているホットミルクティーを例の如くレンジで必要以上に温めてすする。冷めるのを待っているときに静かに上がるミルクティーの蒸気が人以上に愛おしくてたまらない。
サンタさん、僕は時間がほしいです。